インドとパキスタンの対立の要因は?わかりやすくおしえて!

軍服

 

どうも暇人です。インドとパキスタンの対立がニュースになっていますが。

その対立の要因はなんなのでしょうか?

色々と難しいニュースなんですが、この両国の対立はカシミール地方の領有権の争いだといわれています。

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インドとパキスタン、カシミール地方はどこにあるの

 

出典元http://sankei.jp.msn.com/world/news/130420/asi13042015460001-n1.htm
出典元http://sankei.jp.msn.com/world/news/130420/asi13042015460001-n1.htm

 

こんな感じの所にあります。

インドパキスタン中国などに囲まれた所にあるんですね。

 

対立のキッカケは

 

このカシミール地方は昔イギリス領で、そのときこの地域を納めていたのが藩王でした。

この藩王国の国民、藩民はイスラム教徒が多く国民の5分の3がイスラム教徒で、

藩王はヒンドゥー教徒でした。

つまり

藩民=イスラム教

藩王=ヒンドゥー教

みたいな構図が生まれていたのです。

そんな時にイギリスの植民地支配から解放され、カシミール地域はインドかパキスタンに属する事が認められていました。

周辺国のインドはヒンドゥー教の国で、パキスタンはイスラム教の国です。

藩王はヒンドゥー教徒、藩民はイスラム教徒なので、

そうするとカシミール地方はどちらに属するか迷いますね。

どこかの国に属さないで、独立も試みたそうですが難しかったみたいです。

最終的に藩王はインドに帰属する事に決めてしまいます。

そうするとカシミール地域の住民の大多数はイスラム教なので

やだよー!』と怒ったのがこの地域の紛争の元々の原因です。

 

繰り返される戦争

 

その後2つの国はカシミール地方をめぐって戦争を繰り返して行くことになります。

1947年に第一次印パ戦争がおきました。

その後、国際連合により1949年に停戦調停が成立して

インドとパキスタンの話し合いにより、カシミール地方にインドとパキスタンに分ける停戦ラインが決められました。

(カシミールの半分弱をインドが、36%がパキスタン、17%は中国の管理下になっています。)

 

出典元http://blog.livedoor.jp/todai_bunkei/archives/20392880.html
出典元http://blog.livedoor.jp/todai_bunkei/archives/20392880.html

 

1965年には第二次印パ戦争、

1971年には第三次印パ戦争が起きました。

この1971年の戦争の目的は、東パキスタンが西パキスタンからの独立するという戦争でした、

その中でインドは東パキスタンに軍事援助をします。

この戦いはバングラデシュ独立戦争ともいわれ、

インド側が圧勝してしまうのです。

そしてバングラデシュが誕生します。

パキスタンは力の差を見せつけられます。

 

現在の状況は

 

その後パキスタンは軍事力の拡大を目指し富国強兵に動いていきます。

現在では2つの国の戦力にはさほど軍事力の差はないのではと言われていますし。

噂では両国は核兵器の配備ができているともいわれています。

2つの国が核衝突にでもなれば想像もできない位の死傷者が出る事でしょう。唯一の被爆国なだけに、そのような事態にならないよう、両国政府と両国民に平和を強く訴えかけていくべきでしょう。

 

以上です。

このブログでは『暇人が暇な時間を使って話題のニュースを分かりく』をテーマに作っています。

分かりやすいなと思ってもらえたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。